四日市・桑名のランニングクラブ

私と走る事(大学2年生前編)

土曜クリニック担当の田畑 智貴です。

陸上競技部寮へ



箱根駅伝が終わると4年生が退寮し、新2年生の入寮の季節になります。

順大は1年時はキャンパス内の寮(全学部)で過ごしますが、2年生からは各クラブの寮へ移動。

主力候補は「啓明寮」、他は別の寮生活になります。

私はギリギリで啓明寮に入れてもらえる事ができました。

2年生には点呼当番・電話当番・掃除当番はありましたが、上下関係はそれほど厳しくなく寮生活はとても楽しかった記憶があります。

いつも先輩の部屋に遊びに行ってましたね(笑)


2年生の4月には5000mで14分50秒では走れるようになっており、先ずは北海道の夏合宿のメンバーに入る事を目標に取り組んでました。

しかし4月下旬に原因不明の熱で3日間寝込んで以来、全く走れなくなり普段の練習(Bチーム)も付いていけない状況・・・

結局合宿メンバーには選抜されず夏休みは1ヵ月以上、実家に帰される事になりました・・・

本当に悔しくて悔しくてどうしようもない気持ちでした。

考え方を変える



この頃の私は、走る事にばかり気をとられていました。

と言うのは、順大Bチームは週に2回朝練で「調整運動」を取り入れていました。

「調整運動」とは、動き作りのドリルの事で13種目(変形ダッシュ含)実施していました。

当時の私は、そんなもん意味がない、時間の無駄、走る動作(JOG)をしていた方がいいに決まっている!と思っていました。

足が痛いと嘘を言って調整運動をせずに、野外走に行ってました・・・


又、マネージャーからは「田畑の走りは腰が落ちている」とよく指摘されましたが全く意味がわかりませんでした。

しかし夏休み前に全く走れなくなり実家に帰される事になり、騙されたつもりで練習に取り入れる事にしました。

ここで私が夏休みに実家で行ったスケジュールを公開します。



朝練:90分JOG(毎日)

午前練:ウエイトトレーニング7種目(2日に1回)
    調整運動13種目(毎日)
    
午後練:120分時間走(毎日)+200m×10(2日に1回)


このメニューを繰り返していました。

練習のロジックなど気にせず、根性論でひたすら消化していました。

完全に修行僧になりきってました(笑)

走る事はもとより走りに直結するウエイトトレーニングや、調整運動に重点を置きました。

(内容が気になる方は個別に教えます)


また、私はトラック(5000m・10000m)に対し苦手意識が強かったので、ロードに絞って長い距離に取り組む事にしました。

すると身体は見違えるように変化してきました!!


やりきった後の証拠写真、かなり絞れました(笑)


そして大学に戻りBチームの合宿参加。

この合宿にはAチームのリハビリ組も参加しており、澤木監督もスポットで様子をみにきていました。

そこで、澤木監督より「長距離選手らしくなってるな」とお言葉を頂戴しました。

周りからも、腰の位置も高くなり夏休み前と動きがまるで違うと言ってもらえ自信がつきましたね。

孤独の夏を乗り切った成果を実感した時でした。

ついに正規ユニフォームを!!



Bチーム合宿を終えた後、9月末にある関東学生新人大会に出場の許可を頂きました。

この大会は、国立競技場で開催され正規のユニフォームで参加して良い大会。

ついに入学1年半にして、憧れ続けた正規のユニフォームを身にまとう事に!!

しかも国立競技場!!

この時、浪人時代に私に勉強を教えてくれた仲間も応援に来てくれて超ハイテンションで大会に挑みました。

結果は10000m4位入賞で、ついにAチームに昇格!!


憧れ続けた正規のユニフォーム

右肩上がりに順調に!



その後は、苦戦しながらもAチームの練習を消化していました。

大学入学時に別世界に思えた1000m×10本(リカバリー100m・設定3分00秒)を一人でこなせるようになっていました。

そして当時、青森―東京間で行われていた通称「青東駅伝」に千葉県チーム代表(順大は千葉県)として参加。

この駅伝は1週間に3回走り、より実践的な練習が出来る為、大学生や実業団が沢山参加していました。

また、他県の選手とも一緒の宿舎に泊まるため情報交換や親睦を図れたのでとても有意義な大会でした。


阿久津さん、水田さんと同部屋で色々勉強させて頂きました。そして後に世界の舞台に羽ばたいていった大崎君(山学大)とも2人で食事をしたり楽しかったですね(笑)

メンバー発表



そして12月に入り、いよいよ箱根駅伝のメンバー発表!!

当時メンバー登録は14人で発表当日はドキドキでしたね(笑)


澤木監督より4年生から順に発表があり、2年生になった時「2年生、三代・田畑・・・」と呼ばれた時は「きたー!!!」と一気に舞い上がりましたね。

発表後も監督に個別に呼ばれ、3区を準備しておけ!と言われて、あまりの嬉しさでトイレにこもり涙を流していました(笑)

まさか2年でメンバーに入るとも思っていなかったし、区間をもらえるなんて夢みたいでしたね。

浪人生でも覚悟をもって取り組めば名門校でも通用するんだ!と実感した瞬間でした。


ただ監督から、1・2区を浜野さんと三代で行くから順位を死守しろ!と言われて完全にビビっていました(笑)

箱根駅伝メンバーは報知新聞にも名前が記載されるので、高校時代の仲間や顧問から沢山の祝福の電話を頂きました。


第73回箱根駅伝のプログラムより



当時の報知スポーツの記事、名前だけですが(笑)


この後、夏場の無理した練習が思いもよらぬ方向に・・・


次回、大学2年生後編・・・お楽しみに。

投稿者プロフィール

田畑智貴
田畑智貴
◆自己ベスト
 ハーフマラソン 1:04:27
◆競技歴
 皇學館高校→順天堂大学→八千代工業(株)
 全日本大学駅伝・全日本実業団駅伝出場