四日市・桑名のランニングクラブ

私と走る事(大学3年生後編)

土曜クリニック担当の田畑智貴です。

全日本大学駅伝が終わると箱根駅伝モード



11月上旬の全日本大学駅伝が終わると、毎年恒例の伊豆大島合宿に突入。

この合宿は3日間ですが、本当にきつい・・・

1日目-距離走25km・2日目-LSD・3日目-距離走46km(大島一周)。

平坦がなく常にアップダウンで精神的にも身体的にも負荷がかかります。

何より、この合宿は箱根駅伝メンバーを決める位置付けの高い合宿で参加メンバーはピリピリムードでした。

かなり走れた



この時、一年前の大島合宿とは比べものにならないぐらい走れました。

自分でも一年間でこんなに力が付いたんだと感心するぐらい(笑)

そして合宿中に澤木監督に呼ばれ、箱根駅伝は9区を任せると!!

この時点では、2区三代・9区田畑で決まっており、相当のプレッシャーがありましたね(笑)

なぜなら順大は、「復路の順大」と呼ばれ9区の位置付けはエース級を投入する区間でした。

※前年も浜野先輩を9区に投入しました。

焦りから自分を見失う・・・



前述でも述べたように順大の9区の位置付けは重く、「もっと練習しないと!!」と自分に厳しく行動していました。

この時期の朝練のジョグは最初の30分は1km3分30秒・ラスト10分は1km3分10秒の設定でした。

しかし私は朝練習の前に、澤木監督には内緒で40分間走ってしました。

(このコソ練に唯一付き合っていたのが、後に学生長距離界のプリンスと呼ばれた高橋謙介でした)


その「走り込み」が後々、私にとって致命傷になるわけですが・・・

それほど、9区は使命感と責任のかかる区間でしたね。

他大学もエース級を投入してくるので「絶対に負けられない」と気負って練習していました。

無事に箱根駅伝メンバー入り



この頃は、長い距離には絶対的な自信を持っており、箱根駅伝本番をいかに快走するかだけを考えていました。

私の競技人生の中でも最も走れていたのが大学3年時でした。



陸上マガジン提出用に撮影した箱根駅伝メンバー写真


報知スポーツより


そして悪夢が・・・



12月も中旬を迎える頃、朝ベッドから起きて右足を床につくとアキレス腱に激痛が・・・

一瞬で「やばい痛み」と思いました。

昨年の反省から、治療にはかなりの時間を費やしていました。

授業をほったらかしにしてまで、治療には時間をかけていました。

それでも「やばい痛み」が!!

昨年の悪夢が蘇り、なぜこの時期に・・・


しかし澤木監督には内緒で走り続けていました。

アキレス腱にも痛みはありましたが、次第に脛骨に「しみるような痛み」が出てきました。

内緒で病院に診断に行ってみると、くだされた診断結果は「脛骨疲労骨折」

完全に失意のどん底に陥りました・・・

しかもこの日は、一年前と同様、街が恋人達で溢れかえるクリスマス・イブ・・・

涙を通り越して無気力で合宿所にもどりました。

誰にも言えず



疲労骨折の事は誰にも言えず、一人で抱えてました。

そしてロードでの最終調整で、途中リタイヤ。

ついに澤木監督にバレて、「きさまー!!!」と厳しく怒られました。


この頃、実家では大型バスを手配し、正月は関係者で箱根駅伝の応援ツアーが企画されてました。

もう走れません・・・



今まで身内にも言えず一人で抱え込んでいましたが、ついに親にも報告しました。

「ごめん、もう走れません・・・」

今までこらえていた想いが爆発して、泣き崩れて伝えました。


この時の箱根駅伝は総合5位。

正直、今でもほとんど記憶がありません。

覚えている事は、2区の三代が私の無念を晴らす為に、私の腕時計をつけて走ってくれた事。

9区は高橋謙介が走った事だけです。

20年たった今でも74回箱根駅伝の録画を見た事がありません。

それだけ全身全霊をかけて挑んだ箱根駅伝でした。

そして完全腐敗・・・



全身全霊をかけた箱根駅伝が終わり、私は完全に腐っていました。

「あんなに努力したのに、何故走れない・・・」

もう「走る事」でこんなに苦しみ傷つくなら、走らない方がマシだ!!

その後、ジャージを着る事もグラウンドに行くことも何もかもが嫌になっており無気力で生きていました・・・

ここでは語りきれないぐらい、私の身も心も腐りきっていましたね。

人として最低の行動ばかり取っていました・・・

来季の体制が・・・



そんな中、来季の体制が決まりました。

陸上競技部全体の主将は三代で、長距離ブロックは私が担う事に。

また長距離ブロックの新入生は、後に黄金期を支えた順大クインテッド(岩水・野口・奥田・入船・坂井)の入学が決まっており、マジかー!!なんでそんなに全国トップ級が集まるんだ!!という思いでした。

本音は、自分自身ボロボロの状態で長距離ブロックの責任者が務まるのか自信はありませんでしたね。

また、完全に腐りきった私が順大長距離ブロックをまとめていいのか疑問にさえ感じていました。

部を辞めて逃走したい気持ちの方が大きかったです。

それほど全身全霊をかけて挑んだ箱根駅伝を走れなかったショックは大きかったと思います。


第74回箱根駅伝プログラム写真、記念に残ってます。

色々ありましたが、澤木監督も役職を承認したので前を向いてやっていこうと決意するわけで・・・

そして最終学年に突入していきます。

さて「私と走る事」の連載も残すところ大学4年生編のみとなってきました。

あと少しだけお付き合いください。

次回→最終学年での挑戦!! ついに生涯の伴侶、妻との出会い(笑)お楽しみに!!

投稿者プロフィール

田畑智貴
田畑智貴
◆自己ベスト
 ハーフマラソン 1:04:27
◆競技歴
 皇學館高校→順天堂大学→八千代工業(株)
 全日本大学駅伝・全日本実業団駅伝出場